2015年9月13日(日)時点での、茨城県常総市からの報告

 皆様、ご心配や励ましのご連絡、ありがとうございます。以下は、コモンズ代表理事の横田からの第7報です。
 なお、現在横田は電話での連絡が付きにくくなっています。お急ぎの方は事務局長の大野の携帯(080-3367-0782)までご連絡ください。なお、コモンズ代表eメール・アドレス<info@npocommons.org>にお送りいただくと、横田も大野も同時にeメールを確認できます。
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 朝、どれくらい水が引いたか見るが、水海道森下町の水は まだ残っていて、事務所に行く道はまだ深い。北水海道駅の反対側の相野谷に自宅があるという方と会い、このあたりの状況を話す。班長もしていて、状況がどうして見たいとのこと。その方の車に乗せてもらい、きぬ医師会病院の前まで一緒に行くが、まだ午前8時前で自衛隊も来ていない。市役所に行く。市長さんにまちの状況を伝えつつ、自衛隊に聞くと、今日から水没したままの地域のローラー作戦を自衛隊、消防、警察で分担して行うとのこと。その方のエリアは消防とのことで、消防担当の方に会い、事情を話す。相野谷町も世帯数が多いし、どこがどうなっているかまでは聞かれてもなかなか答えられないとのことだった。その方が、自宅で仕事に使っていたパソコンも持ち出せなかったとのこと。市役所から自宅まで送ってもらった際、私がサブで持っていたノートパソコンVAIOをお貸しした。相野谷のことに詳しいこの方とは連携したい。
 家族の避難先である親戚の人が家に迎えに来てくれたので、親戚の家へ。風呂を借り、溜まった洗濯物を預ける。義理の両親や子どもたちも元気だ。安心する。子どもをどのようにつくばの高校へ通わせるか、私と妻と義理の父の車をどうするか、床上に泥を被った妻の実家の片付けをどうするかなど、30分くらい話し、また中妻へ送ってもらう。そして企画書をまとめる。
 県外から新たに来られた方とも会い、ボランティア・センターにいた方に、社会福祉協議会の災害ボランティア・センターとも連携しつつ、私が水海道地区でやろう思うことや、これから集めたい資材について説明。
 昼に自宅に送ってもらう。神戸の村井さんが来て下っていて、これまでの状況を説明。住民同士がともに活動したり、お茶を飲みながら話すのは良いよと言われ、ほっとした。皆がこのような災害で、どれくらい保障があるのか考えていると思うし、森下町や橋本町は新築が増えていたから、二重ローンの問題もあると相談したら、詳しい弁護士の方を教えてくださった。地元の弁護士会などにも依頼して、相談会をすればとのアドバイス。これも企画しよう。
 ちょうど私たちが読みたい本と「負けない象」を一箱くださった。そのとき私の家族が、隣の妻の実家の畳を外に出しに来たので、村井さんたちも手伝ってくださった。本当に助かった。
 妻の父の車は庭に乗り上げて停めていたので、エンジンがかかった。畳と一部の家具がだめだが、どうせならフローリングに変えれば、ベッドも置ける。我が家にもハウス・メーカーの方が来る。床下を見るところを教えてもらう。水がどれくらい残っているか見てほしいとのこと。
 みなが帰られた後、eメールを書こうとするが、主に使っているパソコンがOSトラブルで立ち上がらない。ノートパソコンのVAIOが4つもあって、先に貸したのを除く3台があっても、どれもiPhoneの無線LANにつながらない。編集用に買ってあったmacで試したら、ネットが見れた。でも午後5時近くなり、外を見に行こうと外出。すると、朝あった道路の水がない。自転車は2台ともパンクしたので、ゴミ袋と飲みものをバッグに入れて、まちを歩いて見に行く。会う人にゴミ袋を分け、ゴミの回収のことを伝える。まだ5ヵ所くらいしか人は来ていなかった。作業した方は引きあげたようだ。コモンズ事務所前も水はなく、入るといろいろなものがひっくり返り、冷蔵庫が机の上、子どもたちのアフター・スクールやサマー・スクールの教室が泥だらけ。たくさんあった教材も、日本語 テキストも。進路ガイドもみな水に浸かった。奥のデスクも、買ったばかりのプリンターも、パソコンもだめだ。これまで5年間外国人支援でやってきた資料をまとめた箱の棚も、半分以上のところまで濡れている。でも良い。これならやりなおせる。自宅の方に比べれば、なんとでもなる。でもいつか、ここで子どもたちのスクールや僕が毎週行っていた日本語教室を再開したい。
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 相野谷地区も見に行かなければと、線路を超えて入る。朝会った方の家を探すが、なかなか見つからない。一通り歩くが、住宅地の真ん中では水が膝くらいまで残っている。奥の通りは通れる。その先の田んぼは海。ここの水が引かないと、浄水場が動かず、水が出ない。日が落ちた。新井木まで行き、借りていたコンテナ倉庫を開ける。ここも水が入ったが、コモンズのファイルはまだ生きている。ここに置いて良かった。橋本町の水も引いている。
 市役所へ行き、避難所にいる近所の人のところへ。両親は家を見に行っているという娘さんに説明する。うちの子の同窓生だ。もう少しで家に行けると話す。広報課の知人に、今日撮った写真のデータを渡す。14日から災害FMを立ち上げるそうだ。ラジオがあれば、それを皆に渡して、それで細かい情報をどんどん流せるかもしれない。今日も無線で流れたのは、床上の人に消毒薬を配ること、学校が水曜から始まること、大型の処分したいものの持ち込み先はここ(既にいっぱい。ゴミを持って行く場が課題だ)というくらい。もっと細かい情報を流すメディアがないと、被災地の中では何もわからない。これも皆の悩みだ。FMが聴けるラジオ、単3電池もたくさん欲しい。私の持っていた手回し充電もできる小型ラジオを、諏訪に住んでいたというブラジルの方に渡しつつ、「juntosプロジェクト」のことを話す。持って来たドリンク剤を渡し、頑張ろうと話す。市民協働課にも寄り、今回の災害でブラジル人と日本人の関係が悪くなる事態は避けよう、そのためにもjuntosの方法でやりたいと話すと、理解してくれた。ありがたい。昨日に比べ、東日本大震災時に私たちが集めて、いわきに送ったような支援物資がだいぶ増えた。自分も被災者ということで、パンやジュースをもらい、バッグに入れる。
 この地区指定の燃やせるゴミの袋も大量に必要だが、市役所には在庫がない。多分周辺の店にもないだろう。困った。昨日から唯一空いているツルハドラッグで業務用ゴミ袋を買う。先月まで毎週日本語を教えていたブラジル人の親子に会う。知人宅に避難しているそうだ。
 もう午後8時だが、避難所を見ておきたいので、3月まで自分の子が通った水海道小学校へ。体育館の人はそれほど多くはなかった。ブラジルの知人家族が2組。家は大丈夫だったそうだ。職員室に行くと、先生が二人泊まり込みとのこと。聞いたら、多いときは700名もいたそうだ。外部から物資が来ないから、学校で炊き出しをしようと米を炊いたそうだ。おにぎり1個の理由がわかった。先生方も自分のところもやられているのに、本当に頭が下がる。
 コモンズのプロジェクトを話し、隣りの福祉会館へ顔を出し、社会福祉協議会の人と話す。しばらく電話が通じず、大変だったようだ。14日からの社協の災害ボランティア・センターがうまくスタートしてほしい。一番恐いのは、やっと水が引いて自宅に戻ろうとしている水海道地区に、ボランティアの車が 入り込んだり、道を聞いたり、そんなことにならないでほしい。守谷からなら294号で北上せず、玉台橋を渡り、鬼怒川の西を北上して美妻橋を渡って中妻に行ってほしい。水海道の街中には絶対に入って欲しくない。これからボランティアの体制をつくるので、まず市街地を避けて中妻に行ってほしい。これから車のレッカーなどするのに、車が入ってくると道路が動かなくなる。個人宅の悲惨な状況を、見物しに来てほしくない。
 結構重い荷物が入ったバッグを持ちながら、また徒歩で真っ暗な道を帰る。やっと橋本町の橋が渡れた。水没していた家々の前に、たくさんのものが出されている。
 家に着く。やるべきことは見えた。火曜日にコモンズ常総事務所の掃除をして、掃除道具や機材を入れる状況を整え、2階にスタッフ・ルームをつくる。発電機と無線が使えれば、ここを拠点に高圧洗浄機や荷車、軽トラなどあちこちに持って行ける。月曜日は火曜日に行うコモンズ常総事務所の片付けの準備をしよう。後はチームづくりだ。学校のニーズも急いで聞いてこよう。
 とりあえずここまで。やるべきことは見えた気がする。

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